現在のロシアのプーチン大統領が2回目に就任したのは2012年 5月7日です。 ちょうどプーチン大統領がクレムリン宮殿で就任式の準備をしてい る時期に私は長男と一緒にツアーに参加していました。 長男安一は日本モルドバ友好協会の正会員で「 モルドバを理解するにはロシアとの関係を知る必要があります」 という私の説明に同意して参加しました。
1994年始めて私の家内がモルドバを訪問して以来約45回訪問 し、モルドバの滞在月数は累計約120か月なります。 当時安一は小学校5年生でした。昨年10月に思いがけない事故に 遭遇し意識不明のまま3週間後に34歳で急逝しましたが、 そのたった一度の長男とのロシアツアーがその後のモルドバに対す る考え方に大きく影響しましたのでそこから書き始めて、 ロシアとの比較の中でモルドバツアーの楽しみ方を提案したいと思 います。
サンクトペテルブルグとモスクワに5日間滞在しました。
プーチン大統領の2回目の大統領就任については、 ロシア民衆による反対運動が毎日続いていて、 もしかして就任できないのではないかというような記事が日本の新 聞で連日報道されていました。 私が目撃したモスクワの雰囲気は日本の報道とは全然違いました。 確かにある女性歌手グループがプーチン大統領就任を妨害すること を目的に教会でアジ演説をしたことは事実でしたが、 警察に追われてどこかに逃げ隠れているというそれだけのことでし た。 何よりも私が見たものは夕方クレムリン宮殿に向かって歩いて雲の ように集まってくる民衆でした。 その人たちはクレムリン宮殿にある教会に集まって、 プーチン大統領就任式のためにお祈りをする人たちでした。 プーチン大統領の支持者たちはみんなロシア正教の信 徒だったのです。 モルドバでも同じですが国家の大事なことが決定する時、 多くの民衆は教会に行ってお祈りをするのです。 そしてプーチン大統領は熱心なロシア正教の信徒であるということ を実感しました。 特にロシアの高齢者たちはプーチン大統領を支持しています。 国民の70% いう圧倒的な支持を集めているのは間違いありません。
ある日、赤の広場に行きました。 そこは赤くないのですがなぜ赤の広場というのか聞きました。 ロシア語では赤と美しいが発音がよく似ているそうです。 正確には「美しい広場」という意味だということでした。 一体ロシア人に共通した感情があるとしたら何かということについ て5日間もロシアにいるとよくわかります。ロシア人は「 美しくて強い」ものが好きなのです。 これはロシア人だけでなくモルドバ人にも共通した感情です。 サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館は一日中見て回って も見終わらないぐらい展示室が多くありますが、 その中に最後のロシア皇帝ロマノフ家族がロシア革命によって捕ま った部屋がありました。 そこで通訳の人にロシア皇帝が懐かしいですかと聞くと「 皇帝ロマノフは弱かったから仕方がないのです」 と回答されたときはとても驚きました。 スターリンのことはどう思っているのですかと聞くと「 スターリンは今でも人気があります。強い指導者だったからです。 サンクトペテルブルグにはスターリン時代に建てられたアパートが あり ますが今でもそのアパートは美しくて強くて一番人気があります」 という回答でした。意外な回答でした。
つまりゴルバチョフのように強そうでない大統領より、 圧倒的に強いイメージのプーチン大統領が国民から支持されている のは国民感情に理由があるわけです。 これらはほんの一例ですが日本の新聞だけではわからないことが実 は旅行してみるとよくわかるということになります。
話は変わりますが、2015年に「 神戸クラシック音楽サロンライブとモルドバ報告」 を開催した時にある婦人が私に「 モルドバツアーを企画してください。 モルドバに行ってみたいです。」と言ってくださったので、 東京の神楽坂に開設された在日本モルドバ大使館を訪問し大使にご 挨拶しツアーをしたいと申し出ました。すると大使は「10月のワ インフェスティバルを必ずツアーの行程に入れて下さい」 と要望されて、 先のロシアツアーでお世話になった旅行代理店に企画をお願いしま した。
でもその企画は私の気に入ったような内容にはなりませんでした。 次に兵庫県に出入りしている大手旅行会社に企画をお願いしました 。 でもその代理店は全然モルドバに関心がないばかりか飛行機の便も 間違えているし、 相談しようにも企画書を送ってくるだけで本気で相談には乗ってく れませんでした。やむを得ず、 自分たちで一番面白い企画をしました。 何といっても私たちは日本モルドバ友好協会という国際交流を目的 とする実績のある団体ですのでボランティアの要素とか、 直接モルドバ人と交流する感動的な出会いがないとつまらないわけ です。
4泊6日でツアーを計画して募集をかけました。 手作りのツアーですがどこの旅行代理店もまねできないツアーを立 案しました。それがこれです。
行きたいですと自分から言っていた人は10人以上いましたがその ほとんどの人は行けませんでした。理由はよくわかりませんが、 きっと募集期間が短かったのです。 企画した飛行機のチケットは確認すると10日ぐらいで入手困難に なりました。ワインフェスティバルに合わせたので、 イスタンブールからモルドバに入る飛行機がすぐに売り切れたのが 最大の要因だと思います。飛行機が一便しかないのは問題です。 それにホテルも奪い合いになりました。 早くから現地に依頼しワインフェスティバルの会場に歩いていつで も行ける美しいホテルを確保しました。 最終的にツアーに参加した人数は7人です。
でも1人はとうとう現地でも会えませんでした。 日本人女性と結婚しているモルドバ人男性だったのですが、 一緒に行きたいと言っていたのに挨拶もしないで自分の実家にさっ さと帰ってしまいました。 シンギンザレインという音楽の二人は予定通りでした。キシナウ、 カララシ、カザネスティー、沿ドニエストル[共和国] のコチエルの4か所でコンサートをして現地の青年たちと音楽の国 際交流をしながら、 私達のボランティア活動の現場を訪問しモルドバ人と一緒に食事を しました。 もちろんワインフェスティバルも思い存分楽しみました。 渋谷のMさんはモルドバのワインを毎月1万本買い付けたいので協 力してほしいという人でした。 ホテルとかワインフェスティバルで会うのと往復の飛行機で一緒に なるだけでしたが喜んでくれました。 ビジネスが成立して感謝されました。 それから写真家でエッセイストのみやこうせいさん。 ルーマニアから陸路でやってきて陸路で帰りました。 一緒にアパートに泊まりました。毎日話をしました。 それに私と妻・ 美喜理事がアパートを借り切ってツアーのお世話をしました。「 普通のツアーと違って現地人と直接交流できたのがよかった」 という感想がシンギンザレインからありました。
私は結局1か月間モルドバにいてボランティア活動をしてきました が、 初めてのモルドバツアーは考えられるあらゆることを考えて準備し ました。今振り返ってもかなり無謀な計画でした面白かったです。 でもしばらくモルドバツアーはやりたくないというのが本音です。 でも、この次は必ず行きますという人が既に10人ぐらいいますの で打ち切るのも無責任だと思います。
そう思案している時にモルドバでジャンボツアーズ社の谷村社長か らお食事のご招待がありみやこうせいさんと私と妻・ 美喜理事がお会いしました。 本社は沖縄にありますがもともと本州の都会出身のお方のようでし た。 沖縄から起業してジャンボツアーズを成功させるなんて夢とロマン に満ちたお人だと思いました。 物静かな社長さんでしたがもうモルドバの誰も行かないようなとこ ろまで自分で行って自分の目で確かめて旅行企画を立てておられま す。これだったら一緒にできるお方だと思いました。 私の長男が急逝して1年間、 つまり今年は旅行を控えますがまた谷村社長にお会いしてモルドバ ツアーを企画したいと思いました。
と申しますのも、昨年9月のある朝、 みやこうせいさんとモルドバの首都キシナウの凱旋門で待ち合わせ たのですが、 行ってみるとみやこうせいさんが元気そうな日本人のご婦人と話し ていました。どうやら、 ジャンボツアーズの旅行企画でドナウ川の国々を旅行してモルドバ に来ていて、 学校の教師を定年退職して海外旅行に来ているのだそうです。 ジャンボツアーズ社はみやこうせいさんの飛行機代のスポンサーで 大量にみやこうせいさんのルーマニア写真集を買い入れています。 ツアーのお土産に差し上げているようです。「 みやこうせいさんですね。私はファンで写真集を持っています」 と言って話かけてきたようです。
その話を美喜理事の姉に話をしました。「私もそうです。 学校の教師を定年退職したら海外旅行したいとずっと思っていまし た」 と言うので今度は姉もご招待してモルドバツアーをやりたいものだ と思いました。 その時は谷村社長に相談して企画したいと思いました。
ちなみにジャンボツアーズ社のモルドバツアーは次の通りです。
お問い合わせは直接していただきたいと思います。
写真はみやこうせいさんが撮ったモルドバの子供たちです。(Ⓒ みやこうせい、転載を禁じます)(文:沓澤正明)
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