第27回モルドバ訪問帰国報告
訪問期間 2009年9月14日~10月26日
(累計滞在月数75カ月)
訪問期間 2009年9月14日~10月26日
(累計滞在月数75カ月)
報告者 沓 澤 美 喜
モルドバは1991年に独立した新しい国です。モルドバは農業国です。人口約400万人。その内の働ける世代の内約200万人が国外に出稼ぎに出ています。
私は1994年に初めて訪問しました。そして今回、第27回目の訪問をしました。2009年9月14日から10月26日まで43日間モルドバを訪問しました。累計滞在月数は75カ月になります。
今回の訪問で私が重要視したのは農業の復興と青年の復興です。この2点について報告をしたいと思います。
15年間のモルドバ共和国のボランティア活動でやってきた主なる活動は、
1.カザネスティ孤児院への定期的な訪問
2.モルドバ女性協会「農婦の会“ツェレンクッツァ”」への支援
3.学生への奨学金支援
4.モルドバの21の女性団体への支援
5.カザネスティ「子供デイケアセンター」の設立運営
6.カララシのサナトリウムへの支援
7.耳の聞えない子供たちへの支援
2.モルドバ女性協会「農婦の会“ツェレンクッツァ”」への支援
3.学生への奨学金支援
4.モルドバの21の女性団体への支援
5.カザネスティ「子供デイケアセンター」の設立運営
6.カララシのサナトリウムへの支援
7.耳の聞えない子供たちへの支援
そのような支援活動の中で私が長い間取り組んできたのになかなか成果が見えてこなかったために心を痛めていた分野があります。
それは、モルドバ女性協会「農婦の会“ツェレンクッツァ”」への支援です。わかりやすく言うと「農業の復興」という問題です。
農業には複雑な様々な問題があって、問題の本質がつかめませんでした。しかし、この農業の問題をよく分析して、農業の復興を前進させたいと決意して今回モルドバを訪問しました。これが、今回のモルドバ訪問の重要な目的でした。
モルドバは農業国です。しかし、多くの働ける農民が農地を手放して国外へ出稼ぎに行っています。モルドバの青年たちは農業に希望がもてないので都会や外国に出て行って帰ってきません。そして結婚しても家庭がうまくいかないのです。モルドバでも家庭崩壊は深刻です。私は農業の復興と家庭の復興は関係があると考えています。農業は家族が協力し合わないと成功しないからです。
私たちは首都キシナウにある「国立キシナウ農業高等専門学校」(農業カレッジ)で農業の復興を目的とするカンファレンスをしました。今回は、27歳の農業カレッジのディレクター・スタニスラブ・ティリペツ氏とツェレンクッツァ会長タマラ・ソーコル女史が協力し合ってこのカンファレンスは実現したのです。
12名の会員と、それから農業省の政府高官ミハイ氏と首都キシナウの農業担当責任者が参加しました。政府高官ミハイ氏は「このような民間の農業関係者がカンファレンスを開催するのはモルドバでは初めてです。」と賞賛してくれました。そしてこれからも協力しあって「農業の復興」をやりましょうと約束しました。
しかし、私が知りたかったことはそうではないのです。この国の農業の問題は何なのか、何を解決したらいいのか、政府ではなく、私たち民間団体は何ができるのかという具体的なことを知りたかったのです。
モルドバで「こんにちは」のことを「ムナジワ」といいます。私が学生たちに「ムナジワ」というと「こんにちは」という言葉が返ってきました。日本人に会ったことはないはずなのに「こんにちは」という学生が何人かいました。私はすっかりこの農業カレッジが好きになりました。りんご畑で採集している学生たちと写真を撮りました。ぶどう畑で採集している学生たちとも交流しました。ここにいる学生たちはみんな農業に希望を持っています。
私はこの27歳という若い農業カレッジのディレクター・スタニスラブ氏に「あなたは今何をしたいですか」と質問しました。即座に三つの返事が来ました。
「第一に、世界の最先端の農業知識に学生が接する環境を作ってあげたい。それにはホストコンピューター1台とパソコン10台が必要です。そうしたらネットワークを構築して学生たちに必要な環境を提供できます。」
予算はいくらかと聞くと、すぐに「80万円です」と答えてくれました。その資金を政府は出せないのです。スタニスラブ氏は私たちにその資金を出してほしいと思ってこういう話をしてくれたに違いありません。
「第二に、ガラスでできたハウスが必要です。ガラスでできた温室です。太陽光を取り入れて、そこで新しい農業技術を学生に体験させることができます。」
「第三は、農作物の保存の技術を取り入れることです。今モルドバの農業は収穫するとすぐに市場に出してしまいます。すると一時に農作物が市場にあふれるので価格が暴落し、農業は失敗するのです。様々な保存の技術が必要です。」
「このような新しい考え方の農業を農婦たちは今すぐにはできません。農婦たちは本当の問題が何なのかよく分かっていないから改善できないです。だから、モルドバ女性協会・ツェレンクッツァと協力し合って、実際の農業の実態調査ために学生を農家に行かせたいと考えています。そして、その調査結果にもとづいて農業の新しい方法を着実に見つけ出していくことが重要なのです。それでしたら、農業の改善が可能です。それが私のやりたいことです。」
と農業の知識のない私にも理解できるように、農業の改善について話してくれました。
私はこの農業カレッジのディレクター・スタニスラブ氏と一緒だったらモルドバの農業の復興が可能だと思いました。
しかし、そのような農業の復興に関するカンファレンスだけで私はいいとは全然思いませんでした。それで、3つの地方都市へ農業視察に出かけたのです。私は農業を全然知らないのですが、でもこのままでいいはずがないと思ってそうしたのです。
タマラ・ソーコル女史はオルヘイで12人、カララシで12人、レジーナで12人の会員を集めてくれました。そこへ私は出かけて行って農業の実態を視察し、つぶさに農民から話を聞いたりしました。どこに行っても大歓迎してくれました。
集約すると二つの問題が浮かびあがってきました。
第一の問題は、モルドバの農業資金は年率31%という途方もない金利を払わなければならないということです。春に農業銀行から農業資金を借りて種とか肥料などを購入して、秋の収穫で農業銀行に返済すると利益が残らないというわけでした。
第二の問題は、農業用水の問題です。雨が少ないので、日本のように常時川に水が流れていて農業用水が確保されているということは全く考えられません。農業用水はないのです。水利権とか水利組合とかもありません。水は公共のものという考えがないのです。
一般に行われている方法は、井戸から水をバケツで汲んできてタンクに貯めそれを太陽熱で温めて農業に使っているのです。あとは、雨に依存しています。雨が降らなかったり、ドナウ川が氾濫したりしたらその年の農業は壊滅的な打撃を受けるのです。
それでも成功している農家がありました。池を持っている農家です。池があれば農業用水は確保されます。池は買うことができないという法律があって、50年契約で借りています。池を借りることのできる農家は大きな資金力のある農家です。そういう農家は旧ソ連時代、コルホーズ、ソホーズと言われる国営農場や集団農場を経営していた人たちです。
農地については、一旦は、1991年独立したときに農民たちに公平に分配されたのですが、今や多くの農民は農地を手放しています。農業がうまくいかない農民は大きな農家に農地を売ったり、農業を委託したりしています。
オルヘイには20台のトラクターを所有している農家がいました。その農家は大きな池を持っていました。50年間借りる権利を持っているだけでなく、池の周辺の農地を全部買い占めて、ほかの農民が借りたりできないように池を自分の農地で囲い込んでいました。この農家は、この池の水を全部自分の農地で使うと言いました。他の農民にはこの池の水利権とか水利組合はないと言いました。私は農業用水の問題はとても難しいと思いました。
カララシには農業をするかたわら、農家の人たちの生活必需品を売る商店を開設した農家がいました。馬車ではなくトラックまで所有していました。その農家は自分の土地に泉を見つけて、そこから水を引いて池を造成していました。来年の今頃には立派な池になっているので見に来てほしいと言っていました。そのように池を持つことができる農家は成功すると思います。しかし、ほとんどの農家は池を持っていません。
一方で、幼稚園の経営者が会議に参加していたのですが絵本も何もない中で経営を続けていると実情も報告されました。
あるキシナウ近郊の、結婚したばかりのカップルの農業を視察しました。そのカップルはキシナウのアパートで家庭を築いていますが、結婚のご祝儀を全部投入してビニールハウスとブロックの家を建てたのです。自分たち二人で、4ヶ月間で建てたと自慢していました。しかし、その時のトマトは青いままで今年の収穫は全滅と言っていました。奥さんはその日、会計の勉強にキシナウに行っていました。このカップルは来年にはたわわに実るトマトを収穫するでしょう。それを、若い奥さんは自分で市場に売りに行くと言っていました。大変かわいい奥さんですがたくましいです。この若いカップルは絵に描いたように成功すると思います。
レジーナでは23歳の青年に会いました。10年前彼は13歳でした。彼は私を知っていると言って大歓迎してくれました。彼は旧ソ連時代6000頭の牛を飼っていたという牛舎を管理していました。その牛舎は、独立後経営に失敗して資金を提供してくれた欧米の金融機関から利子の代わりに牛舎のアンティークなドアとか柱とか窓とか屋根とかを持って行かれて荒廃していました。
このレジーナから、農婦の会“ツェレンクッツァ”は発祥したのです。欧米の金融機関に頼らないで農業の復興をしようとしたのです。そういうことを聞いたので私たちは支援してきたのです。
その若者は設計図を出してきてこの荒廃した牛舎を植物工場にして、牛舎の管理棟はホテルにすると話してくれました。きっと、彼はやるでしょう。
私は励ますために「成功するときは一緒に成功して喜びましょう。そして、もしどうしてもうまくいかなくて失敗して滅びるしかないときは、そのときは一緒に滅びましょう。これだったらいいでしょう。」と再会を誓いました。
そして質問しました。「私たちが支援して、もし、皆さんが大金持ちになったらそのお金を何に使うおつもりですか」と聞きました。誰も家を買いたいとか車を買いたいとは言いませんでした。「そのお金で困っている農家を助けます。支援がたとえできなくてもかまいません。また来て下さい。いつでも扉を開けて待っていますから。」と答えてくれたのです。
以上で報告を終わります。
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