2014年11月4日火曜日

モルドバスポーツ界の現状について

今からちょうど1年前、日本陸上競技連盟の秋和美穂子さんがモルドバ陸上競技連盟を訪問4日間モルドバの陸上競技施設を視察しました。
 
そこで、驚くべき光景を目にしました。
 
モルドバでは1991年旧ソ連から独立して20年以上になるにもかかわらず旧ソ連時代の競技施設がそのまま使われていました。
 
モルドバ政府は独立後、経済の復興に努力してきましたがスポーツの分野には予算を計上できないという期間が今もなお続いているというモルドバスポーツ界の現状を秋和さんは目撃しました。
 
そういう現状をはっきり知った秋和さんはモルドバのスポーツの興隆のために自分に何かできることがあるのではないかと考えて私たちと一緒に活動したいと申し出てこられました。
 
それを聞いたモルドバ復興支援協会代表沓澤美喜が9月22日から10月12日までモルドバを訪問し14のプロジェクトを推進するために活動してきましたが、そのうちの一つにスポーツによるモルドバとの交流をプロジェクトに取り入れてモルドバ陸上競技連盟を訪問しました。
 
モルドバ日本友好協会理事長ライサさんと副会長バレリューさんが同行しました。
 
写真中央:副会長バレリューさん
 
 
 
そのようにしてスポーツ界との交流が始まりました。
 
そのような経緯のもと今般、モルドバ陸上競技連盟のプレジデントから「モルドバ陸連の概要」送られてきましたので、それを秋和さんが日本語に翻訳しました。お読みください。モルドバの陸上競技の現状をお察しください。
 
モルドバ陸上協議連盟との会話を通じて、日本における支援活動を企画して参ります。
 
 
 
 
モルドバ陸連概略
 
モルドバ陸上競技界の歴史は約100年を数えます。ソ連時代、モルドバの競技者が国際的なレベルで戦うことは困難な状況でしたが、モルドバの選手たちはソ連チームの一員としてオリンピックに出場し、銀メダルを獲得しました。(Gusman Kosanov - 1960, Svetlana Dovjenko - 1980).
モルドバが独立を果たした後、モルドバ陸上競技連盟(1991年設立)が新たなスタートを切りましたが、独立から20年以上が経過してもなお、モルドバには(屋外)競技場や室内競技場が1つも建設されていません。8年前には、それまで競技者の主要な練習拠点であり、主要な競技会会場となっていたStudionul Republicanが取り壊され、競技者への経済的な支援も毎年削減されました。トップレベルの競技者や、モルドバ代表チームの選手たちでさえ、競技用器具や医事サポートが絶対的に不足していると感じています。しかし、モルドバの選手たちはオリンピックや世界選手権、ヨーロッパ選手権、またユニバーシアード競技大会をはじめとする多くの国際競技会に出場し、素晴らしい成績を収めることもあります。直近では、本年(2014年)のユージーン(アメリカ)世界ジュニア選手権において、Andrian Mardareがやり投で銅メダルを獲得しました。
このような状態のため、中にはモルドバを離れ、他国の代表選手となる選手もいます。バルセロナヨーロッパ選手権で3000m障害の銅メダリストとなったIon Luchianovは現在ロシア代表となり、昨年(2013年)のモスクワ世界選手権のやり投銅メダリストであるDmitri Tarabinはロシアチームの一員として出場しました。残念なことに、経験を積んだ選手だけでなく、若い選手たちも同様に去ってしまいます。しかし、モルドバ陸連のスタッフは、主にボランティアとして活動を支えていますが、前向きに、将来は状況が変わるだろうという希望を持ち続けています。 
我々モルドバ陸連は国際陸上競技連盟(IAAF)が実施しているキッズアスレティックスプログラムに非常に注目しています。同時に、モルドバ陸連はSperantele Atletismului and Sperantele Olimpice (Athletics Hopes and Olympic Hopes)と呼ばれる2つの地元の競技会を運営しています。これらは異なる地域から選ばれた子どもたちに対し、より高度なトレーニングを支援するものです。前述のAndrian Mardare5年前にこの競技会で見出された一人であり、彼の最初の国際競技会でのメダル獲得は、全ての始まりであると期待しています。 
1年前、私たちは日本陸上競技連盟より1通の手紙を受け取りました。そこには、日本陸連スタッフの秋和美穂子がモルドバに滞在する間面倒を見てほしいとの内容でした。私たちにとって、日本陸連とのコンタクトは光栄なものでした。それは、日本陸連が世界で最も力ある陸連の一つであり、偉大な伝統と素晴らしい功績を持つ陸連組織であるからです。 
2007年の大阪世界陸上にはモルドバからも何人かの選手が出場しましたが、私たちはその競技会の素晴らしい運営を鮮明に覚えています。競技場はセイコー/エプソンの計測システムやニシ・スポーツの用器具が完全に揃っており、そして、当然ですが、全競技者がアシックスやミズノのユニフォームやシューズに慣れ親しんでいました。
 
前回のロンドンオリンピックの間、モルドバチーム(全競技)として出場した選手の半数を陸上競技で占めていました。私たちは、2020年の東京オリンピックでも、そのパーセンテージはそのままに、より素晴らしい成績を残すことと確信しています。
 
 
 
Short information about Moldovan Athletics
 
Moldovan athletics history counts around 100 years. In Soviet times it was hard for the local athletes to compete on international level. Nevertheless, Moldovan athletes did join the USSR team, took part in the Olympics and even won silver medals (Gusman Kosanov - 1960, Svetlana Dovjenko - 1980).
After Moldova obtained state independence, the Moldovan Athletics Federation (founded in 1991) got a new life. In over 20 years that followed the independence of our country, not a single track or indoor arena was built in Moldova. Eight years ago, the Republican stadium, which was the primary base for athletes’ training and competitions, was demolished. The financing of athletics decreases every year. Even the top level athletes and members of Moldovan national teams are feeling the lack and almost complete absence of technical equipment, medical assistance. Yet, Moldovan athletes are taking part in most of international sport competitions, including Olympics, World and European Championships and World University Games. Sometimes, they achieve miraculous successes – the latest one came this year at the World Junior Championships in Eugene (USA). Andrian Mardare earned a bronze in Javelin.
The dire conditions force some athletes to leave Moldova and represent other countries. Bronze medalist of Barcelona European Championship Ion Luchianov in steeple chase is currently representing Russia, while Dmitri Tarabin already earned bronze in Javelin at Moscow World Champ as part of the Russian team. Unfortunately, not only experienced athletes leave, young ones do as well. But the staff of the Federation, who support its activities mainly as volunteers, are optimistic and keep hoping that in future the situation will change.
Our Federation pays serious attention to the development of Kids’ Athletics, program supported and developed by IAAF. At the same time, the Federation organizes two local competition entitled Sperantele Atletismului and Sperantele Olimpice (Athletics Hopes and Olympic Hopes). These competitions help select kids from different regions of the country for further athletics training. Above-mentioned Andrian Mardare was one of the athletes discovered at the competition 5 years ago and we hope that his first international medal is just the beginning.
One year ago we got a letter from the Japanese Athletics Federation, asking us to host their representative Mihoko Akiwa while in visit to Moldova. It was an honor for us to be in contact with the Japanese Federation, one of most powerful in the world, an athletics organization with great traditions and remarkable achievements.
Several Moldovan athletes were in Osaka World Championships in 2007 and we remember the outstanding organization of the event. Full stadiums, completely equipped with Seiko/Epson measurement systems and Nishi equipment. And of course, all athletes are familiar with the sport clothing and shoes manufactured by Asics and Mizuno.
During the last Olympics in London, athletes represented a half of Moldovan participating team. We are sure that in 2020, when Olympics will be in Tokyo, that the percentage will remain the same and athletes will give successful performances.
 
 

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