2015年8月1日(土) という日は記念すべき一日となりました。
私たちは東銀座のサロン・ド・ジュリエを午前11時から2時間借 り切ってケイイチ(水谷圭一さん)と虹の瞳さんのユニット「 シンギンザレイン」 によるライブとモルドバから来日した二人のお客様をご招待して昼 食会を開催しました。東京では初めてのイベントとなりました。3 0席は満席となりました。
今回は特別ゲストとしてロシア文学の絵本作家で著名な児島宏子さ んをお迎えしてモルドバのお客様とロシア語で交流できました。 ライサ・ ブラドゥッツアヌ女史のロシア語のご挨拶の通訳を児島宏子さんが してくださいました。 美しい日本語の通訳それ自体が既に日本とモルドバの文化交流にふ さわしい内容でした。また、バレリュー・ サワ氏の英語の通訳は秋和美穂子さんがしてくださいました。 秋和さんはこの通訳のために駆けつけてくださいました。
実はこの日、困った問題が生じていました。8月1日はもう1か月 も前から東京のホテルが満室で、7月29日から3日間はホテルが ありましたが、その日だけはありませんでした。 ですから早くからホームステイにすることを決定して探していまし た。 どうしてもいいホームステイ先がなければ二つの宿泊先の候補はあ りましたが、 モルドバから来日したお二人の最後の日の宿泊先としてはふさわし くありませんでした。
私は早くから児島宏子さんのご主人である写真家みやこうせいさん と携帯電話で連絡を取ろうとしていました。 ご自宅の固定電話にも電話しましたが連絡が取れませんでした。 神戸から東京に移動する直前にやっと児島宏子さんがお電話に出ま した。遠くから帰ってきたところで絶妙のタイミングでした。
児島宏子さんとは一度も面識がありませんでしたが ①8月1日のライブと昼食会に参加していただきたいこと ② 東京にホテルが満室で取れなくて困っているのでホームステイさせ ていただきたいことをお願いしました。 ほとんど無理難題を持ちかけているのに「いいですよ」 と言ってくださった時にはまだお互いに顔を見たこともないのに「 ああ、このような天国のような出来ごとが本当にあるのだろうか」 と思って涙があふれました。
私は朝8時に九段下のホテルにモルドバのお二人を迎えに行って、 そのあとタクシーで児島宏子さんのご自宅にお伺いしました。 私のことは「夫から聞いて全部知っています」 と言っておられました。「心配ありません、大丈夫ですよ」 と言われたわけでもないのに全部準備されていることがすぐにわか りました。何の不安もありませんでした。
そのあと午前11時過ぎにサロン・ド・ ジュリエに到着するともう全員集まっていましたので、 すぐに席順を決めテーブルごとにグループを作って座っていただき ました。打合せする時間もとれず、 ぶっつけ本番でしたのでみんな「これから何が始まるのだろう」 という少し慣れない感じですぐに始まりました。
私は初めてみんなの前で「 日本モルドバ友好協会理事長沓澤正明と申します」 と挨拶しました。数十年前ぶりにお会いしたお方が何人もいて、 ただ懐かしくて参加してくださった人も少なくありませんでした。 私が何をやっているのかわからないのに参加してくださったお方が 大半でした。ライサ女史やバレリュー氏のご挨拶が終わると、 私が今何をやっているのかがわかってきて、 みんな思い思いに話が盛り上がりました。
ライブはモルドバのグループ「オゾン」が歌った「 恋のマイヤヒ」 をシンギンザレインが歌うと会場は最高の興奮の渦に巻き込まれま した。 バレリューさんと児島宏子さんが体を揺らして踊り始めました。
オリジナル曲【Melody】で「伝えたいことがあるんだ、思いを歌にのせて」 を歌うとまさしく私たちの気持ちがそこにあるということがわかっ て、もっと、もっと歌を聞いていたいと私は思いました。 みんな絶賛しました。 私はこういう音楽を中心とした集まりを東京で2か月に一回くらい やりたいと表明しました。
そのあと、日暮里のハナワ社「アトミサランセンター」 にモルドバのお二人をご案内して化粧品ビジネスの体験をしました 。通訳は日本在住のモルドバ人IT技術者ウラジーミル・ ミチテル氏がボランティアでしてくださいました。 ハナワ社は女性社長文春梅さんが経営していて、 私たちの活動を最初に支援したいと申し出てくださった企業で、 社長だけでなく社員さんも2人が支援者となってくださっています 。日暮里では韓国料理店で夜の食事会をして、 その日は児島宏子さんのお家に行って宿泊しました。(報告者 沓澤正明)
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