2018年6月13日水曜日

私達のことば

『私達のことば』

モルドバは旧ソ連の中ではとても小さな自治共和国でした。モルドバのずっと北のほうにカレリア自治共和国があります。ノルウェーに近いところです。モルドバは旧ソ連崩壊と同時に1991年に独立しましたが、カレリア自治共和国は独立できませんでした。モルドバとカレリアは同じぐらいの大きさの国ですが何が違ったのでしょうか。



理由はモルドバ人はモルドバ語という『私達のことば』を持っていたことです。カレリア人はカレリア語ということばを失ってすっかりロシア語しか 話せなくなっていたのです。

文化人類学の研究者藤原潤子さんがそう言っていました。藤原さんはある日、カレリア自治共和国を訪問し単身で1年以上暮らすようになり、そこで文化を研究しました。そしてついに文化人類学の博士号を取得しました。

その博士論文をもとに『呪われたナターシャ』という美しい本が出版されました。私はモルドバに行くときいつもその本を1冊カバンの中に忍ばせ飛行機の中で読んでいました。

何度読んでも旧ソ連ではモルドバに限らずどこでも同じことが起こっていたのだということが分かりました。

モルドバでは旧ソ連時代、修道院が閉鎖されたり、教会が爆破されたり、それでも教会に行く人はシベリアに抑留されていました。私はモルドバを訪問するようになってそんな話ばかり聞きましたのでしばらくの間、モルドバでだけそのようなことが起きていたのだろうかと思っていましたがそうではありませんでした。

日本の北方領土に暮らしているロシア人は実はモルドバ人なのですという話も聞きました。事実、北方領土から北海道の札幌で講演などをしながら、やっとモルドバに帰ってきたご高齢のご夫妻にお会いしたことがあります。私が日本人だとわかるとそのご夫人は「なつかしい」と言って私の首に抱きついてきて、私は耳の下あたりをキスされたりしました。

でもそれはモルドバだけに起こったことではなかったのです。私が長男と一緒にサンクトペテルブルグやモスクワを旅行した時も同じ話を聞きました。旧ソ 連ではどこででも修道院は閉鎖され、多くの教会は爆破され、それでも教会に行こうとする人はシベリアに抑留されていたのです

私はシベリアに抑留されていたのは日本人ばかりであるとずっと思っていましたが、そうではありませんでした。

それでも弱小のモルドバが旧ソ連から独立できたのは『私達のことば』が死なずに生きていたからなのです。

旧ソ連時代、モルドバ語はキリル文字で表示されていましたが今はアルファベットで表示され、モルドバ語はルーマニア語であり、モルドバ人はルーマニア人であることが広く認められるようになってまいりました。


そしてモルドバでは『私達のことば』が国歌の名前になっています。ちなみに、ことばが死なずに生き残って独立した国にバングラディシュがあります。インドではベンガル語は死語になっていますが、バングラディシュではベンガル語が生きていて、モルドバと同じく国歌が『私達のことば』という名前だそうです。

写真はモルドバ独立宣言をした凱旋門のある広場と独立宣言のときの記録写真です。(報告者:沓澤正明)

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