2017年8月30日水曜日

旧モルドバ公国の首都ヤシについて

1375年モルドバ公国建国以来、1812年モルドバ公国のベッサラビアという地域がロシア帝国に併合されるようになるまでの間、旧モルドバ公国の首都はヤシでした。

ベッサラビアという地域はプルート川とドニエストル川に囲まれた地域で、そこがほぼ現在のモルドバ共和国と重なっています。そして、ヤシを含む残りのモルドバ地方は現在ルーマニアの一部となっています。つまり、ルーマニアのモルドバ地方と現在のモルドバ共和国の領土を合わせてモルドバ公国と呼んでいた時代があったということになります。(注:研究者によってはモルドバをモルドヴァと表記しています)

ルーマニアで長年写真活動しておられるみやこうせいさんが、2017年8月4日から8月10日までルーマニアからモルドバに陸路で入国し、モルドバの風景や人物を写真に収めました。みやこうせいさんは今回旧モルドバ公国の首都ヤシからバスに乗り込み国境となっているプルート川を越え4時間30分かけてモルドバの首都キシナウの南バスターミナルに到着されました。

少し大げさな表現ですが、旧モルドバ公国の首都から陸路でモルドバの首都にやってくるなんて歴史を感じさせるいい話ではないでしょうか。

モルドバ歴史地図(「ロシア帝国の膨張と統合」から引用)を貼ります

それを見ると旧モルドバ公国は、ベッサラビア地方がロシア帝国に併合されるまで、ハプスブルグ帝国とロシア帝国とオスマン帝国に隣接する重要な位置にあったことが分かります。世界中どこを探してもこのような三大帝国に直接国境を接する国はほかにありません。ちなみにこの三大帝国は第一次大戦終結とともに消滅しています。

現在もモルドバはラテン・スラブ・アラブ文明が融合する特殊な地域であることに変わりありません。「なぜモルドバか」という私たちがかかわる本当の意味がここにあると思います。

なおモルドバの歴史に興味があるお方には志田恭子著『ロシア帝国の膨張と統合』(北海道大学出版会)をお勧めします。モルドバを理解する必読書です。この本は全245頁モルドバに関する研究だけで網羅されています。それを読むと、第三のローマとしてのモスクワやロシア正教の成立する背景にモルドバの多くの修道院が全面的に貢献していたことがわかります。後日、日本の研究者が輝かしいモルドバの歴史を実証してくれたとモルドバ人によって称賛される日が来ることを祈っています。(文:沓澤正明)










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